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休戦の客車 [トピックニュース]

 日本人にはあまりピンとこない第一次世界大戦の休戦記念日。フランスにとっては重要な日らしく祝日になっています。

 とは言って、今年は日曜日と重なってしまったのでちょっと残念。フランスには振り替え休日なんてシステムはないらしい。

 それはさておき、その休戦協定が結ばれたのは100年前の1918年11月11日のことでした。

 場所はパリから60〜70キロほど北東に行ったところにあるコンピエーニュの森。ここに置かれた列車の客車内で締結されました。

 この客車、数奇な運命をたどります。

Paris_Compiegne.jpg



下記ウィンドウの▸をクリックして番組をご覧ください。(フランスのTV局France2で2018年11月8日に放送)

映像が途切れ途切れになってしまう皆さん。どうも映像の読み込みと再生の速度がうまく噛み合ないのが問題のようです。解決策として、本編が始まったところで一旦ポーズボタンをクリックし再生を止め、映像を読み込むまでしばらく待ちます。ある程度映像を読み込んだところで、もう一度再生ボタンをクリックすると途切れずに見ることができるようになります。少し手間ですが試していただけると幸いです。


 ここが休戦協定の舞台となった場所。

 レールは残っていますが、当時を物語るのはこの記念館だけ。ここではその時の様子がジオラマで再現されています。

 ドイツ代表の乗った列車とフランス代表(正確には連合国代表)の乗った列車がコンピエーニュの森に到着します。勝者は堂々と記念撮影、敗者はそのようなことをする立場にありませんでした。

 そして、両者が乗り込んだのがこの客車です。ヴァゴン・ドゥ・ラルミスティス(Wagon de l’Armistice)(休戦の客車)と呼ばれています。

 こちらはその実物大のレプリカ。テーブルに椅子。さらに電話も設置されていました。フランス政府と客車を結ぶ電話です。

 話し合いが始まりました。しかし、それは話し合いと言えるようなものではなかったようです。

 「あなたの目的はなんですか?」と連合国代表。

 「連合国からの提案を聞きに来ました」とドイツ代表。

 「提案などない!」

 「えっ!?」

 「休戦したいのか?それともしたくないのか?」

 「したいです」

 こんな具合だったそうです。

 「何が何でもドイツ軍をズタズタにする必要があったのです。ドイツにとってこの協定は侮辱的なものだったと言えます」と歴史の専門家。

 兎にも角にもこうして第一次世界大戦は終結したのでした。

 “休戦の客車” はパリに運ばれ、アンヴァリッドの中庭に展示されたそうです。

 時は流れて1940年。今度はあのヒトラー率いるドイツがフランスとの休戦協定を結ぶために、この “休戦の客車” を指定しました。

 復讐の舞台は整いました。今度はドイツが勝者でフランスは敗者。

 ヒトラーは勝利のトロフィーでも持ち帰るようにこの客車をベルリンまで運び、市民に公開したそうです。

 しかし、第二次世界大戦末期、ヒトラーの命令でSSが火を放ち、“休戦の客車” は跡形もなく焼けてしまったのでした。

 貴重な歴史的財産だったのに・・・ああ残念。


******* フランス人のつぶやき *******

今日、地下鉄に乗った。バッグがいっぱいだったのでサクソフォンをそのまま首にかけて乗り込んだら、乗客の半分が別の客車に移っていった[あせあせ(飛び散る汗)]

VDM(Vie de Merde)より



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